2012年6月29日 (金)

康本雅子『絶交わる子、ポンッ』

康本雅子『絶交わる子、ポンッ』
●6/28(木)〜7/1(金)
●シアタートラム
●振付・出演=康本雅子
●出演者=あらた真生/遠田誠(まことクラヴ)/小山まさし/菊沢将憲/鈴木美奈子/下司尚実/泊麻衣子

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終始、セックスにまつわる展開
舞台にはティッシュが舞い、「ズッコンズコッ」といった擬態語が交わされ、
下着姿で腰をくねらす動きや、発情期のネコを思わせる泣き声とジャレ合い....

しかし、陰湿さや、過剰なお色気は無い、

とぼけたムーブメントや淡々としたコンタクトが会場からの笑いを誘う。

客の反応も悪くなく、あらかた楽しんでいるようだ。

しかし正直、個人的好みから言ってしまうとこうした表現はどちらかといえば苦手な部類で、
私自身は憮然とあるいは、冷めて眺めていたと思う。

それが終幕寸前、康本が「ストロング・チンポが欲しい!ストロング・マンコと交わりたい!」
と宣言ともつかないセリフを高らかに発したとき、何かが私の中で転換した。

憮然と観ていたのがアホらしくなる様な、
まるで、始原の神話世界の性を謳いあげる大らかさに飲み込まれた。

そういえば、中盤にマイクを体に当てながらガイガーカウンターよろしく、
「セシウム、ストロンチウム・・・」、そして股間の箇所では「ストロンチンポ」などと呟いていた、

思えばそれらはただの戯言ではなく、
たとえ惨事で崩壊するようなことがあったとしても
必ずや再生するであろう、性と生のしぶとさへの賛歌であったか。

ただ、肝心のダンスに関して、
一部群舞等において、おっと思わせる部分もあるにはあったが、、
特に康本自身のソロでは、振りグセを差し引いてみても、
新規性に欠け見慣れたムーブメントの構成に少々食傷した。
(アフリカ由来の彼女特有のダイナミズムは、こうした作品にマッチしているし大好きだけど)

これが独学による自己流ゆえの限界だとは、思いたくは無いのだけれど。

 

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2012年6月12日 (火)

南部高速道路の渋滞に巻き込まれて

http://setagaya-pt.jp/theater_info/2012/06/post_280.html

『南部高速道路』   6月11日シアタートラムにて

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[構成・演出]長塚圭史
[原作]フリオ・コルタサル『南部高速道路』(1966年刊)
[出演]真木よう子、黒沢あすか、江口のりこ、梅沢昌代、植野葉子、安藤聖、赤堀雅秋、梶原善、加藤啓、小林勝也、菅原永二、裵ジョンミョン、横田栄司

この原作、以前読んだことがあり(岩波文庫『コルタサル短篇集 悪魔の涎・追い求める男』所収)
それ以来お気に入りの一編。

週末レジャーを終え都心へと戻る車で混み合う高速道路。
しかし、そこで待っていたのは、その原因もいつ終わるかも分からぬ、
果てしなき渋滞だった...

コルタサルの実験的作風が活き、
日常と非現実のあわいに落込んだような感覚を覚えさせてくれる、
そんな作品が長塚圭史の手で見事に舞台化、期待を上回る面白さで魅せてくれた。

セットも何もない空舞台を取り囲むよう四方に客席が据えられた会場は、
ステージというより小振りなスタジアムを思わせる。

やがて、客席のざわめきも治まらぬ中、
傘を携えた役者たちが三々五々客席から降り立つように集まり、
芝居は滑る様に進行し始める。

緞帳も無く、開演ブザーも鳴らず、客電も落ちることなく始まる舞台は、
原作同様、日常と非日常とが、現実と幻想とが
地続きであることを仄めかしてもいるのだろう。

しばらく経つと観客は(原作を知らないお客さんたちも)、
役者たちの振る舞いや会話から、
なんとなくこれが交通渋滞であろうことを感づき始めるのだが、
そこには、車や道路を模したようなセットや小道具は一切登場しない。

搭乗者たる役者たちと手にした傘があるだけ。
広げられた傘がボンネットやウインドウに見立てられ、
渋滞にはまったイライラや困惑の演技とあいまって
何も無かった空の舞台に、原因不明の渋滞という理不尽な状況が立ち現れる。

まるで魔法のような長塚演出に、
色や形や古さなどそれぞれの傘の違いが、
バスやワゴンなど車種や年式の違いにも見えてくる。

手足れの役者陣もいい。
客席を巻込むように話しかけたり、
不条理さを深刻ぶらない自然さでそこはかとないおかしさを漂わせたり、
(どこか別役の世界観を思わせる)
いつしか観客たちも渋滞コミュニティの一員になった気にさせられている。

今回の舞台は、場所を日本に置き換え、台詞や細部には手を加えられているが、
アウトラインは原作そのまま。

かつて読んだときには、とかく“滞りがちな人生”の縮図にも思われたが、
未曾有の震災を経験した私たちにとっては、
被害を共有する者達の止むに止まれぬコミュニティの成り立ちにも見えてくる。
(長塚がこの作品の舞台化を意図した背景には、少なからず3.11が影響しているだろう)

でも、そんな小賢しい読解などここでは要らない。
だって、この2時間という不条理な時間に身を浸し楽しむ、
そのことが、合理性ばかりを押し付けながらも、
実は理不尽極まりない現実社会のほころびを問うことに直結しているのだから。

傑作です!!

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2012年5月27日 (日)

「授業」参観記

<ウジェーヌ・イヨネスコ「授業」フェスティバル ‐如何に「授業」を料理するか?- >
http://www.geocities.jp/kagurara2000/jugyo

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神楽坂のdie pratzeが7月で閉館になる。
以前、田端にあった頃にもオルガンヴィトーなど、
パフォーマンスを観に何回か行ったことがある。
94年に現在の神楽坂に移転してからは、
経営者の真壁さん主宰の黄色舞伎団(OM-2)の公演はもとより、
「ダンスがみたい」シリーズなど頻繁に通わせてもらった。
もちろん一時、麻布赤羽橋に開いていた別館にも。
無くなってしまうのは、(日暮里d-倉庫が残るとはいえ)なんとも寂しい。

その神楽坂die pratzeで、不条理演劇の原点ともいえるイヨネスコの「授業」を
テーマに<ウジェーヌ・イヨネスコ「授業」フェスティバル‐如何に「授業」を料理するか?->が開催された。

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ベケットなどと共に、1950年代の”アンチテアトル”を代表する前衛劇作家であるイヨネスコ。その代表作である「授業」だけを連続で上演する演劇祭。1公演に2作品セットで上演する。10の「授業」、そこから何が見えてくるか?どのような差異に眼を向けるのか?普段無意識な「観る」ことを捉えなおす観劇体験がここに。

4月27日(金)-29日(日)  千賀ゆう子企画、双身機関(名古屋)
5月1日(火)&2日(水)  劇団つばめ組、Super Steam Through
5月4日(金)-6日(日)   crossroad project/交差点企画(茨城)、サイマル演劇団
5月8日(火)&9日(水)  一徳会/KAG(千葉)、『永久個人』
5月11日(金)-13日(日)  実験演劇集団「風蝕異人街」(札幌)、長堀博物館◎プロデュース
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まさしく実験演劇や前衛的パフォーマンス、ダンスの巣窟の有終に相応しい企画

ということで、
計10組が2週にわたって、それぞれのスタイルで“白熱”した「授業」を繰り広げてくれた。
私は3番目の2組を欠席してしまったが、他の8教授はなんとか受講することができた。

「授業」といえば、今は無き渋谷ジャンジャンの10時劇場、
毎週金曜日、約10年続けられた中村伸郎教授の授業が、
多くの人にとってスタンダードになっているのでは。

そういう点から言うと、今回の中では「千賀ゆう子企画」が最もスタンダードな「授業」スタイルだった。

「劇団つばめ組」はスタニスラフスキーやメソッドを自認するだけあって、
オーソドックスなリアリズム演劇を目指していたが、稽古不足か力量不足か空回りが目立った。    

さて、それ以外は個々に趣向を凝らした実験的、変則的レクチャー・スタイルとなっていたのだが、
とりわけそれぞれの衣装の違いが、それぞれのコンセプトを暗に語っていて面白かった。

その辺りに注目して簡単にノートを取ると、
「双身機関」は、教授が上下黒のスーツに白塗りの顔、というコンテンポラリー・ダンサーの定番衣装、
で無言のままマイム的ダンスで教鞭をとる。台詞をしゃべるのは女中のみ。
後で役者本人から聞いたのだが、女中以外はこの世にいない過去の人たちで、
女中の回想として登場しているため無言なのだとか。
イヨネスコ本来のエスカレートする暴力性よりも、そうした性を持つ人間への哀悼に見えた。
登場人物を操り人形のように空虚に描くことの多いイヨネスコの解釈としても面白い。

「Super Steam Through」は、ガタイのいい男性がワンピースの少女姿の女生徒で登場。
それだけで、戯画的なものを思わせるが、内容も先生と生徒という設定だけを借受、
オリジナルにあるような言語学ではなく、コンテンポラリー・ダンスの変遷を学ぶ
ダンス教室へと改変。
フォーサイスやピナ・バウシュの特徴を真似させるなど、
実験やコンテンポラリーの試みを茶化す意図か。

テキストを無化するという点では「永久個人」が際立った。大正琴と打楽器、
叫びとも唸りともつかないヴォイスパフォーマンスをバックに、
女性パフォーマー数名が客席にもんどり打つほど七転八倒のカオスや狂気。
時折、断片にされたテキストが読み上げられる。
しかし、元々イヨネスコの持っている狂気の強度を、
こうした“いかにも狂気”が乗り越えられていたのかは、甚だ疑問。

「一徳会/KAG」はとび職風作業員2名が“ねこぐるま”(現場で砂とか運ぶ手押し一輪車のあれ)を押して登場、
女性2人がそのねこぐるまに乗せられたり絡んだり、時にエロティックに挑発。
作業員2名はユニゾンでテキストをト書きを含め力を込めながらも無表情に発声していく。
下手な演技の無い分、逆にイヨネスコらしさが際立った。

実験演劇集団「風蝕異人街」は、今回唯一(私の見た中で)オリジナルにあるナチスを再現。
最初からなんとなく軍隊的な動きや衣装で、
最後にイスをひっくり返すと鍵十字が登場
(オリジナルでは女中が、教授の腕にハーケンツロイツを嵌めて終わる)。
当時は時代背景として説得力があったろうが、
今「暴力」や「権力支配」をヒトラーに回収してしまうのは意味があるだろうか。
それでは、現代の日常に潜む暴力性を隠蔽してしまわないだろうか。

今回特に感心したのが「長堀博物館◎プロデュース」。
「風蝕異人街」のナチスに対し、教授は米軍放出のアーミー衣装。
それだけで一挙に、対テロ戦争や金融支配など暴力の在り処が移動し、
極めて現代的なテーマ性を帯びてくる。
しかも女生徒が歯痛を訴える後半部分から始まり、
本来の前半部分が後からつなげられるという逆転によって、
暴力の循環、果て無き連続がより明瞭になった。
構成としては後半に向かって爆発的に発展することが多かったイヨネスコに対し、
終わることの無い暴力連鎖を思わせながら静かに閉じる長堀博物館の試みは、
より現代的不安や不気味さを滲ませている。

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2012年5月 7日 (月)

THE BEE (Japanese Version)

THE BEE (Japanese Version)

5月3日 水天宮ピットにて
http://www.nodamap.com/productions/thebee/index.html

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“見立て”の跳躍する圧倒的速度

犯罪現場の規制線に見立てたゴムひもが、
TVクルーのカメラやマイクへと瞬時に変わり、
舞台に敷き詰められたボール紙も
壁や扉、封筒などへと目まぐるしくメタモルフォーゼしてゆく。

人質の子供の切り取られ折られる指は、
先ほどまで鉛筆であり、箸であった。
しかしいまや、暴力の形見としておぞましい質量を持つ。

目まぐるしく見立てが変わるのは、美術ばかりではない。
刑事がシェフに。
犯人の男は、人質の子供へ。
そして女性警官はリポーターから犯人の妻へと入れ替わる。

けれどただ、野田が演じるサラリーマンだけは、その役柄を変えることは無い。
善良な一市民が、その家族を人質にとられた対抗策として
自ら立てこもり犯となり狂気へと変貌する以外には…

この舞台に対する、大方の解釈がそうであるように、
暴力の連鎖や報復の無意味さ、
あるいは善と悪との裏腹さなどなど
たしかにここにはあるのだろう。

だが、そんな浅薄な解釈などは、到底追いつけぬほどの
“見立て”のヘンゲする速度に、ただただ圧倒されるしかない。

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2012年3月13日 (火)

UNDERWATER LOVE -おんなの河童-

「UNDERWATER LOVE -おんなの河童-」 3月10日 横浜シネマ・ベティにて

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ゆるくて、おバカで、摩訶不思議、
で、なんだかギュッてしたくなる!快作

チラシに謳われてるのは、
「河童×ラブストーリー×ピンク×ミュージカル」!!?

それだけでも、何やそれっ??
と思わずつっこみたくなりますが、かててくわえて、

監督は、カルトな人気の“いまおかしんじ”、
撮影はウォン・カーウァイ作品でおなじみクリストファー・ドイル、
音楽をステレオ・トータルがやってるって、

さすが、ピンクの最後の砦、国映製作(しかもドイツ合作)!!

溺れて死んだ高校時代の同級生男子が、
河童に生まれ変わって、
死神に狙われるヒロインを救うって筋なんだけど、

一応ピンクなんでからみあります。
ミュージカルなんで、踊りもあります。
そのどれもが、もうゆるーくて、そこはかとなくて.....
ステレオトータルのへんてこな日本語歌詞にも、はてなマークがとどまりません。

でも、映像がクリストファー・ドイルなもんだから、
もしかしたら、深遠な自然讃歌かもしれん、
もしかしたら、『鴛鴦歌合戦』やら『狸御殿』やら日本ミュージカルへのオマージュかしらん、
など考えさせてもくれる(ほんとか?)

クセになりそうです。

http://uwl-kappa.com/

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2012年3月 8日 (木)

「サド侯爵夫人」への言葉

「サド公爵夫人」 3月7日 世田谷パブリックシアターにて
演出:野村萬斎
出演:蒼井優、白石加代子、麻美れい、美波、神野三鈴、町田マリー

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その修辞が美麗を極め、
三島由紀夫の最高戯曲とも言われる原作の圧倒的な“言葉”に、
みな気圧されてしまったのかなぁ...

まして、生の舞台など経験のほとんど無い蒼井優には、
荷が重すぎたのか、
“言葉”を御するどころか、“言葉”に呑まれてしまってて、
観ているこちらが何だか辛かった。

それにつられてしまったのか、あの白石加代子まで、
詰まったり、間が取れなかったりで。

プレビュー公演を差し引いても、残念な舞台でした。

今回、能・狂言の継承者でもあり日本語のスペシャリストともいえる、
野村萬斎が演出するにあたって、“言葉による緊縛”を中核に据えた、
とチラシにあるけど、
あまりに原作を神聖視しすぎて、硬くなりすぎてしまったみたい。

イス、テーブル、シャンデリアだけと最小限に整理され能舞台を思わせた美術や、
徹底的にシンプルに抑えられ好感が持てた照明のように、
脚本も思い切って刈り込むぐらいの冒険があってもよかったかもしれない。

あの出来で4時間弱は少々きつかった。

そんな中、麻美れいのサン・フォン伯爵夫人は、
淫蕩の芳しさを垣間見せよかった。

そしてクライマックス、
まるでオセロの駒の白黒が次々逆転するかのように、
汚辱と悪徳を聖なるも高みへと反転させる三島の名レトリックに、
さすがの蒼井=ルネも、ここばかりは
(たぶんここ一番と稽古を積んだのだろう)カタルシスを呼び込み
挽回してたのが、彼女にとっても客にとっても救いだった。

http://setagaya-pt.jp/theater_info/2012/03/post_268.html

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2012年3月 6日 (火)

「ポエトリー アグネスの詩」の宿すもの

「ポエトリー アグネスの詩」 2月25日 横浜シネマ・ジャック&ベティにて

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失われて在るものを手探りする、言葉と喪失に関する美しき寓話........

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
<ストーリー>
出稼ぎに出ている娘の変わりに中学生の孫の面倒を見ている66歳の祖母ミジャ。

ある日彼女は見かけた詩作講座の広告に誘われ受講をはじめる。
子供の頃、教師から詩人になれると言われたことを思い出したからだ。
だが講師に言われたように、普段何気になく見ているリンゴを凝視し、
鳥のさえずりに耳を傾け、一生懸命言葉を紡ごうとするが、
一向に“詩”は生まれない。

そんなとき、孫の同級生の少女の自殺の原因に
孫と友人仲間がかかわっていることを知らされる。
さらに悪いことに、医者からアルツハイマーの初期であることも告げられる。

ミジャは亡くなった少女アグネスの思いを辿るように、
追悼ミサへ出かけ、身を投げた橋や実家の母をたずね歩く。

そして講座の最終日、講師の許に課題であった一編の詩が届くのだが.......
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

ここには、「失われているもの」と「失われてゆくもの」が、
二重三重に折りたたまれている。

物語の最初から、すでに自殺したものとして不在である少女はもちろん、
孫の親であるミジャの娘もほとんど顔を見せない。

そして何よりも、“言葉”。
詩というメタファーを用いながら、言葉の空しさが基調となっている。

アルツハイマーで言葉を失うことに怯えながら、
少女に届くことの無い言葉を手探りすること。

人はその空しさゆえに、言葉に心の丈を込めようとする。
その空しいが故に弛まぬ行為こそが、
言葉に美や哀切を宿すのだと思い至らせてくれた。

http://poetry-shi.jp/

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2012年2月29日 (水)

東京プレイボーイクラブの余韻

「東京プレイボーイクラブ」 2月25日 横浜シネマ・ジャック&ベティにて

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スタイリッシュな情けなさ、クールなカッコ悪さ!!

昔、映画館から観終わった男たちが皆肩をいからせて
出てくるような映画がよくあった。
まぁ大抵、10分やそこらで小腹満たしにラーメンでもすするうち、
もとの気弱な小市民に戻っちゃうんだけどね。

でも当節、
強くなった錯覚を起こさせてくれるような任侠のダークヒーローも
スクリーンの中にさえ住めなくなってしまったようだ。
近頃登場するヤンチャ系の男たちといえば、
どこかイタかったり、ミジメだったり・・・
それが“リアリティ”というところだろうか。

2010年ゆうばりファンタスティック映画祭で自主制作作品がグランプリを獲得し、
審査委員長ジョニー・トー監督に「恐るべき監督の出現だ!」と言わしめた奥田庸介。
1986年生まれの彼が、弱冠24歳で劇場デビュー作として、
撮りあげたのが「東京プレイボーイクラブ」だ。

舞台は東京は場末のピンサロ。
事情で地元にいられなくなった男(大森南朋)が、
かつてのチンピラ仲間(光石研)の経営するそのピンサロに転がり込んでくる。

だが、ヤンチャだった経営者も今では、意地も対面も失くし、
地回りに媚びながら狡すっからく生きている。
(ちんけなピンサロが大仰に東京プレイボーイクラブと名乗ってるのも対照的で可笑しい)

それに対し大森演じる勝利は、「意地まで売り物にするほど腐っちゃいない」と、
次々と地元ヤクザも何も構わず“意地”を通そうと殴りつけトラブルを広げてゆく・・・

ここに登場するのも空意地ばかりで要領悪くしか生きられないイタイ男。
しかし奥田は、そんな時代遅れの男を、
情けないままに、カッコ悪いままに、でも飛び切りスタイリッシュに魅せてくれる。
ああ、まだスクリーンには生き残りがいたんだ!!と

もちろん、大森、光石の熱演あればこそ。

日活アクションを髣髴とさせる場末の小便臭さ漂う路地やネオンの画も良い。

ただ一点、デビュー作にしてこのあまりの完成度に期待と同時に、
まとまり過ぎちゃってるんじゃないかという贅沢な心配も。
若さゆえの破綻さも、見てみたかった。

いずれにしてもラーメンすするまでの10分間、
久々に錯覚させてくれる映画に出会えた。

http://tokyoplayboyclub.jp/

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2012年2月26日 (日)

ニーチェの馬」いう奇跡

「ニーチェの馬」 2月25日 横浜シネマ・ジャック&ベティにて

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時折滲むように映像に重なるミニマルな弦楽は不吉を絶えず予感させ、
やがて井戸も枯れ火も絶え、全てが朽ちていく、落剥の妙なる美。

物理の唯一の絶対的な法則であるエントロピー=時の不可逆性、
我々の宿命、それゆえにサブライムは立ち現れる。

人ゆえの罪か、あるいは神という共犯者の仕業なのか

徹底的にセリフをそぎ落とされ、語りえぬものを描く本作を前にして、
作品を語る言葉など意味を持ちえるのだろうか?

すべてが「わかりやすさ」に回収され終局へと加速する弛緩したこの時代に
身を削るようにしてしか観ることの出来ない極点としての映画が撮られ、
(Observer誌は言う“映画の極点”と。映画の極点!それこそ賛辞の極点だ!!)
その弛緩と低俗さの汚染源であるこの国で公開されるということ、
観客に託される問いは深い。

その絶対的なモノクロ画面にも圧倒されるが、
細部の技法も決してゆるがせにできない。
贅沢な長回しによって、例えばテーブルの上のただの焼酎グラスに寓話が宿る。
激しい寒風に煙る外光から屋内の闇に沈む物陰へとワンカットで取り上げる露出の妙。
同じく屋外のロングショットから室内の人物のプロフィールへと寄り添う移動など、
挙げればきりが無い。

監督タル・ベーラが何故本作を最後の作品と位置づけるのか、
我々も何かを賭するように、無言で繰り返し観るという行為でしか
見出すことは出来ないのだろう。

http://bitters.co.jp/uma/

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2012年1月25日 (水)

下谷万年町物語

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かつて西武劇場(現パルコ劇場)で初演された折には、
100人の男娼出演や巨大な池のセットなど、
再演は不可能といわれていた作品が、
30年を経て、新装成った東急Bunkamuraで上演された。

演出は81年当時と同じ蜷川幸雄だけど、
出演者は李礼仙(現在は李麗仙と改名)はじめ状況劇場の役者だったのに対し、
宮沢りえ、藤原達哉、西島隆弘と人気俳優が顔をそろえる。
それゆえか、観客はアングラとは一切縁の無いだろうご婦人方が多い。
でも、そんな観客たちも開演間も無く言葉を失ったことだろう。
紛う方ないアングラが、そこでは繰り広げられていた。

戦後の男娼の巣窟、根城とするオカマ軍団、
詩ともたわ言とも付かない唐の長台詞の遣り取り。

でも、なによりも客を驚かしたのは、
舞台前面に設えられた瓢箪池に、藤原も西島もバチャン、ドブンと
飛び込む、落ちる、潜るの演出だったろう。

そして、エスター・ウイリアムスのハリウッド・アクア・ミュージカルよろしく
池の底から藤原に抱きかかえられた宮沢=男装の麗人キティが、登場する。

初演版を観た者としては、どうしても李と宮沢を比べてしまうのだが、
宮沢は李本人以上に、李礼仙的だった。
つまり、唐の妄念の女性そのものに成り切っていた。
たぶん、李は片腕として唐と渡り合っていただけに、
自身のイメージや思想が少なからず反映していたのだろうが、
宮沢は完璧な依り代=役者として、キティのモデルである
伝説のストリッパーを甦らせたのだ。

もちろん、そこは蜷川の手腕に他ならない。

美術や逸話など
スペクタクルにおいては、初演に及ばなかったが、
芝居では凌駕したといってもいいかもしれない。

下谷万年町、それは唐が幼少を過ごした饐えた記憶、
フェリーニのローマのように、
それは背徳の街ではなく甘美な羊水への回帰という妄想。
役者達が瓢箪池の水しぶきを上げるたびに、
我々の記憶の淵も波立つ、
そんなめくるめく3時間半であった。 

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2011年5月11日 (水)

out of

      Cmme10213

                                                                                                                                           ENNA MUNCHEN  MC MACRO-ENNALYT  1:2.8/35mm

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2011年5月 8日 (日)

akari

       Gak9995

                                                                                                                                                Schneider-Kreuznach  Cine-Xenon 1:1.4/25(Arriflex)   

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2011年5月 7日 (土)

akari

       Gak5995

                                                                                                                                               Schneider-Kreuznach  Cine-Xenon 1:1.4/25(Arriflex)       

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2011年5月 6日 (金)

akari

       Gak5277

                                                                                                                                              Schneider-Kreuznach  Cine-Xenon 1:1.4/25(Arriflex)    

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2011年5月 5日 (木)

PS

       Gak3352

                                                                                                                                               Schneider-Kreuznach  Cine-Xenon 1:1.4/25(Arriflex)    

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akari

       Gak9997

                                                                                                                                               Schneider-Kreuznach  Cine-Xenon 1:1.4/25(Arriflex)  

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akari

       Gak3407

                                                                                                                                              Schneider-Kreuznach  Cine-Xenon 1:1.4/25(Arriflex)    

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2011年4月19日 (火)

浮遊工場

       Scs10306

                                                                                                                                              CarlZeiss Jena Sonnar 1:1.5 f=5cm T (RF CONTAX)   

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2011年4月16日 (土)

浮遊工場

       Scs10304

                                                                                                                                            CarlZeiss Jena Sonnar 1:1.5 f=5cm T (RF CONTAX) 

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2011年4月12日 (火)

浮遊工場

       Scs10302

                                                                                                                                           CarlZeiss Jena Sonnar 1:1.5 f=5cm T (RF CONTAX)    

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2011年4月10日 (日)

浮遊工場

       Scs10301

                                                                                                                                              CarlZeiss Jena Sonnar 1:1.5 f=5cm T (RF CONTAX)                            

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2011年4月 8日 (金)

CRUSH THE TYMKS

       Tpam1102

                                                                                                                                                Schneider-Kreuznach  Cine-Xenon 1:1.4/25(Arriflex)    

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2011年4月 7日 (木)

CRUSH THE TYMKS

       Tpam1101

                                                                                                                                                   Schneider-Kreuznach  Cine-Xenon 1:1.4/25(Arriflex)    

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2011年4月 6日 (水)

CRUSH THE TYMKS

       Tpam1103

                                                                                                                                           Schneider-Kreuznach  Cine-Xenon 1:1.4/25(Arriflex)          

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2011年4月 4日 (月)

おそとダンス

       Tpam1104

                                                                                                                                                 Schneider-Kreuznach  Cine-Xenon 1:1.4/25(Arriflex)       

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