2009年3月 6日 (金)

春琴

『春琴』
―谷崎潤一郎「春琴抄」「陰翳礼讃」より

2009年03月05日(木)~2009年03月16日(月) 
世田谷パブリックシアター

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[演出] サイモン・マクバーニー
[出演] 深津絵里、チョウソンハ/立石凉子/内田淳子、望月康代、麻生花帆、瑞木健太郎/高田恵篤、下馬二五七/本條秀太郎(三味線)

谷崎潤一郎の『春琴抄』をモチーフにしたこの作品、
2008年2月に世田谷パブリックシアターで初演、その後ロンドン公演を経て、このたび凱旋公演。
再演となる今回も、初演の演出をベースした上演とのこと
初日を観ました。

まるで、陰翳の綾に織りなされた美を抽出し、
そのコントラストを結晶化したような舞台!!

その蝋燭の焔に照らされた、かそけき往時を蘇らせる照明、
簡素を持って旨とする侘びのいにしえを
畳と黒子の操る棒で現出させる空間演出

そこへ、大写しの影画のように
琴と佐助の綾が、くっきりと浮かび出る

深津絵里の琴の鬼気迫る癇癪もすごくて、
なにやら魔術にかけられたような2時間でした。

ただ、最終場面、時間が現代へと戻り、
昔日の陰翳の中に見出された美学が失われてしまったことを、
『陰翳礼讃』を引きながら嘆くのは、言わずもがなでやや興醒め
ロンドン公演では、喜ばれたのかもしれないけど.....。

ところで、更新が2ヶ月ぶりになってしまったです。
実は私事ですが、(ってブログはほとんどが私事で埋められてますけど)
ここのところの100年に一度の大経済危機が、ひとごとではなく降りかかり、
食い扶持を失いかけてます。
心身フトコロともに、物見に出かけてる場合ではなくって、
今回の観劇もほんとに久々。
マルクスじゃないけど、
下部構造が上部構造を規定するを地でいっちゃってます。
何とかせねば...

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2009年1月14日 (水)

志の輔らくご in PARCO 2009

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先ず1部は出来立てほやほやの新作「ハナコ」。
世にはびこる食品偽装問題などを揶揄した噺で、トラブル回避のためにやたら過剰に事前説明する温泉旅館が舞台。
この温泉旅館、黒毛和牛食べ放題が売りなんだが、本当に黒毛和牛であることを証明するためになんと....。
時事を皮肉った枕から、もう腹捩れるほど、笑わせてもらいました。

次も新作落語だが、舞台は江戸の長屋。
殿の御前で披露しなければならない狂言のアイデアが浮かばず、川に身を投げようとした狂言師を助けた長屋の住人たち。
アイデアの参考にと、次々に自分たちの思いついた面白話を聞かせるんだけど、そのほとんどがどうしようもなく下らない。
でも、そうした長屋連中の思いから、何事かを得た狂言師が見事御前公演をつとめるという噺。
そしてなんと、話の途中で高座が、狂言の能舞台へと早変わり。
本物の狂言師が登場し、志の輔師匠本人も掛け合いで狂言を演じると言う、正月のPARCOならではの趣向に、大入り満員の会場も大喝采でした。

そして、休憩を挟んで、いよいよ本格古典、出し物は「柳田格之進」。
浪人柳田格之進は、大店の万屋の主人の碁の相手として昵懇だったが、無くなった五十両を盗んだと番頭に疑われ、潔白にもかかわらず家名を重んじ大ごとにならぬよう娘を郭へ売って五十両をこしらえ渡す。
その後、大掃除の折に盗られたとばかり思っていた50両が出てきたところへ、帰参かなって江戸留守居役へと出世した格之進が無念を晴らすべく、主人と番頭の首を貰い受けに来る.....
これは、もともと講談だったものを、古くに落語の人情噺に仕立てられた。
近年はあまりやり手はいなかったのだけど、埋もれた古典を見事によみがえらせてくれました。
かつては、志ん生が講釈口調で得意としていたらしいが、志の輔版は、講談のような派手な抑揚はなく、淡々と抑制され、しかし凄みのある出来。いつもの人情話のように、ボロボロと泣かせる場面は無いものの、その鬼気迫る語りにトリハダたっちゃいました。

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2009年1月 5日 (月)

frequency

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       その距離は、
       純正律へと続いていた
       
       雲を、フサフサとした匂いを、燈を、蒼を、
       勾配を、掻き消え行くものを、染みを、

       譜に布置されてゆく
       幾ヘルツもの逃走とともに

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2008年12月14日 (日)

ヤング@ハート

ヤング@ハート 2007/イギリス

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先週、時間ができたので、久々映画、ちょっと気になってたの観にいってきました。

アメリカ、マサチューセッツ州に実在する混声のコーラスグループ「ヤング@ハート」。92歳のオバアチャンを筆頭に、なんと平均年齢は80歳。しかもそのレパートリーときたら、クラッシュやソニックユースのパンクロックやら、ジェイムス・ブラウンのばりばりシャウトやら。
ロンドン公演の際に、客席で打ちのめされちゃったスティーヴン・ウォーカー監督が、彼らのリハーサルに密着したドキュメンタリーが本作です。

最初のうち、ジイチャンやバアチャンたちに、無理にロックを歌わせて見世物にしてるキワモノのような感じがして、やや引きぎみで観てたんですが、後半、刑務所の慰問ライブのあたりから、実は本人たちもそんなことはしっかり自覚していて、とにかくお客さんを喜ばせたい、それが自分たちの喜びになってるんだっていうのが、伝わってきて、もうそっからは、一緒にノッて感動して....

コールドプレイの「FIX YOU」、あの年齢じゃなきゃ歌えない歌になってって、泣けます!!

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2008年12月10日 (水)

hazama

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       いつまでも聴こえるものとばかり疎んじていた

       羽音

       気付けば零れてしまっていた

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2008年12月 8日 (月)

読んだものの中から<11月>

『アナロジーの力 認知科学の新しい探求』 キース・J・ホリオーク/ポール・サガード著 鈴木宏昭/河原哲雄監訳  新曜社

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人は何か新しい事態に直面すると、これまでの経験や似た事柄から類推して判断しようとするよね。決して理詰めではなく、直感や飛躍的に。
そうした比喩とか例え話とかのアナロジーが、幼児から、詩人や学術研究にいたるまで、いかに思考の道具として駆使されているかを、丁寧に辿り概説している。
こうして見ると、アナロジーって人間(ある種の霊長類を含めて)の、すごく原始的な思考方法というのがわかる。
でも、そのきわめて原始的な方法が、米国が軍事介入するかどうかの判断に、大きく影響しているとか。
フセインはヒトラーとだぶったため、第2次大戦の栄光よ再び的に即攻撃が決断され、それに対して北朝鮮はといえば、鬱蒼とした地勢や底のはかり難いアジア的なものが、ベトナムの悪夢を思い起こさせるため、強行的な介入に踏切れず弱腰路線ということらしい。なんだか、頭を抱えさせられてしまうんだけど...。

『おのぼり物語』 カラスヤサトシ著 竹書房

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実体験を自虐的なギャグで綴った漫画で、人気を集めるカラスヤサトシ。彼が30歳の頃、漫画家で身を立てるべく、上京したときの実話をもとにした作品。
なので、いつものギャグは、やや後退気味。
しかし、通常その自虐のバカバカしさの向こうに、孤独や哀切を滲み出すのに対し、今作は逆に、都会に漂う儚さの向こうに、「もう、笑っちゃうしかないだろ」的な、人の持つ根源のバカバカしさがあぶりだされる。
とかいっても、そんな仰々しいもんじゃ決して無いです。
笑ううちに、ジワーッっと来て、そのペーソスの中で、くすぐられて....笑って泣けます。

『シェイクスピア物語』上巻下巻 チャールズ・ラム,メアリー・ラム著 安藤 貞雄訳 岩波文庫

ラム姉弟が、少年少女向にと、シェイクスピアの戯曲を物語へと改作したもの。
「じゃじゃ馬ならし」「お気に召すまま」など10篇の喜劇、四大悲劇を含む6編の悲劇、さらに「テンペスト」などのファンタジー的なロマンス4編の計20編がおさめられてます。
少年少女向けといったって、200年以上にわたって読み継がれてきただけあって、大人が読んでも面白いし、何しろ似た筋立てで(男装のお姫様とか、しょっちゅう登場するでしょ)こんがらがっちゃうシェイクスピアが、よーく整理できる。
よくある「5分で世界文学がわかる」みたいなダイジェスト本じゃないけど、気軽にシェイクスピア戯曲のほぼ全貌がわかってしかも断然面白い。だって本物の文学作品だからね。

『闇をひらく光―19世紀における照明の歴史』 ヴォルフガング・シヴェルブシュ 著 小川 さくえ 訳 法政大学出版局

蝋燭からガス燈そして電気へと19世紀に飛躍的に変容した照明の歴史が、街灯、家、劇場など様々な場面において詳細に検証されている。
街から闇を一掃すべく街灯は、すなわち支配管理の象徴であり、そのため庶民たちの反抗の証として、フランス革命時には、貴族たちを縛り首にするロープを引っ掛けるのに使われたとか、個々の蝋燭が、中央から供給されるガスや電気の線でつなげられた端末へと代わる様子は、資本主義による管理化とパラレルであったとか、さすがシヴェルブシュ、含蓄に富んでます。

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2008年11月28日 (金)

気持ちの川

          Kimochi

私が仕事で関ったWEBサイトがOPENしました。

アカツカグループ・インタラクティブ環境サイト“気持ちの川
http://www.kimochinokawa.jp/

三重県に本拠地を置き花卉を中心とした事業を展開する、赤塚グループ。
このサイトは、「一人の健康から地球の未来まで」という赤塚の企業理念を具現化したもの。

いのちの源「水」をめぐる想いを言葉にして流すと、川の流や川辺の景色が生成します。

企画・デザインは、ミスチルのミュージッククリップのディレクションなどで話題の
映像ディレクター、丹下紘希さん(ダンサー康本雅子さんの旦那さまでもあります)。

※現在、秋の風景になっていますが、12月第2週からは、冬の景色へと変化します。

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2008年11月27日 (木)

中夜の残党

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       西域からやってきた
       赤褐色の月が
       焦げ臭い

       夜営はひび割れ
       獣の毛が抜け落ちた
       老いた職人たちだけが知る余白

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2008年11月 5日 (水)

読んだもののなかから<10月>

『よんでますよ、アザゼルさん。(2)』 久保保久著 講談社イブニングKC

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前回に比べ、ややインパクトが落ちたような...というのも、アザゼルさん等悪魔たちが、ワキに回って、助手のさくまさんにフォーカスされてるため。もち、さくまさんの、ズッコケも、豹変キャラもなかなかなんすが、やっぱ悪魔たちによるあのセクハラ満載の強烈魔術が炸裂しないのはちょっと寂しい。
ただ、今回、“REAL TOKYO”に第1巻の推薦コメント寄稿した際に、お礼のメールをいただいた編集担当の笹岡さんが、かなり素敵なキャラで漫画になって登場してるのが、ウケまくりです。

『海街diary 2 -真昼の月-』 吉田秋生著 小学館flowersコミックス

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こちらも、待ちに待ってた第2巻です。山形からやってきた異母妹のすずちゃんを取り巻く、サッカークラブの友人たちの話を中心に、姉や疎遠な母との確執なんかが描かれてる。1巻の別居していた父の訃報、奔放次女の年の差恋愛話に比べて、日常的な落ち着きながらも切実な感じ。
そして、『ラヴァーズ・キス』のキャラたちも、徐々に絡み始めるなど、やっぱ、鎌倉という舞台が同じというだけでなく、ストーリー的にもつながってたのね♪。というわけで、吉田秋生ファンには、ますます今後の展開が見逃せなくなります。

『海街diary すずちゃんの鎌倉さんぽ』 吉田秋生監修 小学館

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上記と同時に発売された、いわばサブテキスト。
すずちゃんが、「海街」と「ラヴァーズ・キス」の舞台となってる鎌倉を案内してくれる、映画で言えばロケ地めぐり?
名所やショップも紹介されてて、あまり鎌倉になじみのない人には、観光案内にもなりそう。かつてウインドサーフィンやりに毎週通ってた私には、「あの路地の先に、四姉妹の家があるんだ!」的に楽しめます。
鎌倉の猫たちもカワイイ!!

『存在の耐えられない軽さ』 ミラン・クンデラ 著 西永良成 訳 河出書房新社

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池澤夏樹個人編集になる、世界文学全集の中の一巻、カウフマン監督で映画(スヴェン・ニクヴィストのカメラが秀逸でしたね)にもなった有名な名作新訳本。
これ、“新訳”というとこが、とっても貴重!!なぜかというと、1984年に発表された本作は、完璧を期す著者クンデラによって、度々大幅な変更が加えられている。なもんで、2007年時点の最新テクストを底本としてるこの翻訳は、“生き物”としての本作の現在を知ることができるありがた~いものなんです。
日本で最初に出た89年の千野先生のももちろん名訳ですが、そういう意味で本書と読み比べるのも楽しい!
でね、ほんと古くないどころではなく、とっても現在形の作品であることにあらためて驚かされるというわけです。
訳者の西永さんも巻末の解説で、本作のモチーフであるキッチュに触れて、「多数派を形成しようとするどんな政党、政治・社会運動も必然的にキッチュ的性格(通俗的な感傷性と複雑な事柄の単純化の傾向)を免れない」と言ってる。
つまり、多数の同調を得るためには、物事を単純化して、単純な言葉、イメージ、所作を動員するということ。って、麻生の政策そのものじゃん。

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2008年11月 4日 (火)

(-_-メ)Ⅱ

定額給付金の事務手続きが進められてるらしいですが、前回の経済対策案へのつっこみの続きです。

特に、プランの中のひとつ、高速道路料金の割引案を聞いたとき、ほんと耳を疑ってしまったよ。
だって、まず、CO2の削減が、世界的緊急課題として叫ばれてるこのご時勢に、一国の景気浮揚のために自家用車をがんがん走らせようっての??!!

京都議定書は、2000年時点からのCO2の6%マイナスを謳ってるけど、実はあれから2007年までにマイナスどころか、8%も増えちゃってる。つまり、京都議定書を守るためには、14%マイナスしなきゃならない。14%っていうと、分数にすると7分の1!!ってぇことは、一週間のうち丸々一日、まったくCO2を出さない日を作らなきゃならない(息も出来ない!)。しかも、増えちゃった8%の原因のほとんどが、自家用車によるものと報告されてる。
そんなときに、高速道路安くして、クルマを走らせようって!!いったい、どういう頭脳構造をしてたら思いつくのだろう????
まあ、たぶんクルマ屋から突かれての事だろう。急激な円高とアメリカの消費落ち込みで、大打撃のクルマ屋さんたちが、少しでも売り上げ挽回すべく、何とかしてくれと政府に泣きついたんじゃないかな。だってね、自動車産業と政府の癒着は、「輸出戻し税」を見てもわかるでしょ。(輸出の多いトヨタなんかは、このおかげで、払った消費税の約7倍の税の戻しで儲けてる。奥田とか経団連の面々が、消費税率アップを求めてるのは、上がれば上がるほど戻し税が増えて儲かるからと言われてる。)

しかしです、そんなことで、クルマの国内需要なんて伸びないもんね。各種調査によると、若者を中心にクルマ離れが起きている。クルマってもう、憧れの商品でもなんでもないし、エコだとか保管場所とか考えると、なくても困んないし的なもんになっちゃってるんだよ。免許取得率も低下し続けてるし。(その辺りのことは、クルマ屋たちは当然心得てて、だからクルマ売れなくても戻し税で儲かるように、消費税増税をセットで提案してるのだろう。)

道路つくって、クルマ走らせてっていう、土建屋とクルマ屋にいろ~んな意味で、長きに渡って助けてもらってきた自民党政府。その中でも、セメント屋っていう、もうどうしようもなく道路‐土建構造に近い総理とくれば、まあ考えそうなことではあるんだが、もうね、いい加減、目覚ました方がいいんじゃないすか?

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2008年10月31日 (金)

(-_-メ)

久しぶりです。ここんとこ更新エネルギー衰えちゃってたんですが、あまりに(−_−メ)(−_−メ)(−_−メ)なんで....

昨日、麻生太郎の追加経済対策会見があったけど、あんな欺瞞に満ちたのって、前代未聞じゃないですか。
いかにもセメント屋が考えそうな、土建公共投資とドッコイドッコイのバラマキ案。
自民不利といわれる選挙を控え、票を金で買ってるのと何処が違うんだ?

しかもその内容にしたって、ドーヨヽ(;´Д`)ノ
未来が見えずに心理的にすっかり冷え切ってるってときに、一時的な給付などが効く筈が無い。給付金なんざ、焼け石に水っしょ!
いま、必要なのは、いっときのカンフルではなく、カウンセリングじゃない?つまり、未来の不安を如何に取り除くかのビジョンと施策なんじゃないか。
たとえば、カネに目のくらんだ亡者どものアメリカ金融資本主義とは距離を置く、EU型とも違う(参考にしながらもね)、新しい日本型経済(もう一度、かつての上手くいっていた計画分配型、協力型を思い出そう)実現に取り組むこと。
まあ、アメリカに魂売った売国奴自民党のセメント屋風情には、頭が回らないんだろうけど。

しかも、住宅ローン減税、高速道路料金割引、株投資の税優遇で、そのツケを3年後の消費税増税(早いとこカップ麺を400円にしたいのか)でまかなうだって??!!
それって、家を買えたり、株投資の余裕のある裕福な人たちを厚遇し(だいたい、投資家たちが今回の事態を招いたんじゃないのか?キャピタルゲインからは、もっと税金取るべきじゃないのか?)、それを金輪際自民を支持することは無いだろう貧乏人たちに払わそうってことだよね。消費税は、出費に占める食費、生活必需費の割合が過大な低所得層にこそ、重税負担だからね。あまねく負担の消費税が平等なんていうのは、金持ちたちのタワゴト。たしかに、ヨーロッパなど諸外国では、消費にかかる税はもっと高いけど、そのかわり生活必需品の税率を下げたり、福祉や救済策をしっかり用意してるよね。

自分たちに都合のいいトコだけ、外国の例を持ち出して、アメリカの議会定数が日本の国会議員よりも少ないことなど不利になることは一切口をつぐむってのもミエミエなんだけど。今回も、消費税増税の前に大幅な構造改革をって言ってるけど、その辺のムダメシ食いたちを一掃するとかの、納得のいくことをしてくれるんだろうか??

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2008年10月16日 (木)

エリザベス1世~ラスト・ダンス~

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エリザベス1世~ラスト・ダンス~

10月4日〜13日   Bunkamuraシアターコクーン

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ちょっと、がっかりです。13年ぶりの来日に、なんとか都合付けて久々の舞台鑑賞、盛り上がっちゃってたばっかりに....。
あの「フラワーズ」(87年)や「ザ・ビッグ・パレード」(88年)の、目くるめくスペクタクルを勝手に期待してしまっててゴメンなさいって感じす。
いや、決してつまんなかったわけじゃない。サンディ・パウエルの衣裳の艶やかさ!出演者たちの所作や歌の素晴しさ!
でもね、まずそのスケール。予算等の制約からだろうけど、かつてに比べて中規模な作品を持ってきたんだろうなぁ。セットといえば舞台両袖に宮廷の入り口みたいのがしつらえてあるだけ、背景はスクリーンに映る場面場面のシルエットって、あの立体感ある美術の片鱗も無い。
エリザベスの回想の順を追ってくような展開も、衝撃に乏しいし。なんか、全体的にちんまりまとまっちゃった感漂ってましたよ。
なにより、ケンプおじさんの、あのはじけまくったお茶目さが、おとなしくなってしまってて、それが何より残念です。たまたま、今回の作品だから?それとも、、やっぱ年齢?(T0T)

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2008年10月 3日 (金)

読んだもののなかから<9月>

『ディスポジション:配置としての世界』柳澤田実/編 現代企画室

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ニヒリズムに陥ることなく、近代主観性を脱し関係性と相対認識の可能性を拓こうという試み。そのキー概念が、ディスポジション(disposition)=配置、布置、力、条件、性向、傾向性、態勢……。
「ディスポジションという語は、特定の学問領域における中心的概念として機能してきたものではなく、むしろ英語においても仏語においても日常的に用いられる言葉。しかし、それと同時にディスポジションは、さまざまな領域のテキストにおいて、まさに領域横断的に見出され、ある共通の展望を拓いてもいる。その展望とは、いわゆる近代的世界観とは別の可能性の提示にほかならない。本書は、この概念であると同時にひとつの実践とも言えるディスポジションを巡って、哲学、生態心理学、美術、建築、工学、など複数の領域の専門家たちが思索し、討議を行った記録である。」(本書前書きより)

ギブソンのレイアウト(layout)、フーコーの装置(dispositif)、ドゥルーズの配置(agencement/arrangement)といった諸概念が縦横無尽で、すごく刺激的っすが、まだまだあまりに予告編すぎて、その先が知りたいです。

『崇高の美学』 桑島秀樹/著 講談社選書メチエ

カントからヒロシマまで 人間を考え直す強靭な思考。

様式的な「美」の概念と違い、「崇高(サブライム)」は、恐怖や圧倒、死やときにはグロテスクなどをも包含し、対峙するものの存在を根底からゆすぶるような体験とでもいえるでしょうか。

その「崇高」の考察史を、アルプスなどの自然の驚異から、エドモンド・バーク、カント、そしてリオタールによる、バーク再読へと辿り直し、ヒロシマや9・11に連なるアメリカのテクノロジー・サブライムを省察。現代を切る、切っ先としての「崇高」。

昨今の金融破たんも、アメリカ流の「崇高」感に思えてくる。

『世界のM42マウントレンズ』 写真工業出版社

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最近仕事なんかでは、どうしてもデジタルを使うことが増えてしまったけど、でも、いまのレンズって、優等生過ぎて失敗は無いけれど面白味もないんだよなぁ。

で、M42マウントレンズというのは、1950年代に日本や東西ドイツやソ連など国内外の多くのカメラ、レンズメーカーが、こぞって制作した統一規格のレンズ。当時、これらの国のカメラメーカーでは、統一のマウント(カメラ本体とレンズの接合部のこと)のカメラをつくってた。それが、M42マウント。なので、例えば、ペンタックスのカメラに、カール・ツァイスのレンズを装着するなんてことが、いとも簡単にできた。つまり、世界中が交換レンズの宝庫だったわけです。
今では、レンズ設計って、コンピューターでちゃちゃって計算、最新硝材をロボットが削りだしたりしてるので、同グレードのレンズであれば、およそどこのものでも同じように綺麗にクッキリカッキリ写る。だけど、その頃は、大学を主席で出たような光学や物理の博士たちが、計算尺で何日も計算して設計し、レンズ構成もまちまち、職人が手で磨いてたので、写真を見るとどのメーカーの何レンズかわかっちゃうぐらい、レンズのキャラ立ちがはっきりしてる。だからねぇ、ほんと面白いんです。

世界中でつくられてたもんだから、いまだに、中古市場には豊富に出回ってて、しかもレアモノとかを別にすれば、比較的安価に入手可能。私も、数年前からこつこつ集めて、手元に10本程度あります。もちろん、当時のM42採用のカメラ本体をそのまま使って撮影できますが、アダプターを使えば、最新のデジタル・カメラにもメーカーによっては取り付け可能とあって、やはり同好の士が多いのか、こんなMOOK本が最近になって出版されちゃったんですね(そうした影響か、中古市場で多少値上がり傾向)。

主だった70本を実例写真とともに紹介してくれちゃってるので、もう物欲が掻き立てられること。でもぉ、ここんとこ、いろんな意味で余裕が無いもんで、新たにM42レンズを手に入れて、お散歩写真撮りに行くとこ、ただただ夢想(妄想?)するだけです。

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2008年9月17日 (水)

フランス映画の秘宝 (impression)

『マイエルリンクからサラエヴォへ』1939年/95分/35mm/白黒
De Mayerling à Sarajevo
監督:マックス・オフュルス

『海の沈黙』1947年/88分/35mm/白黒
La silence de la mer
監督:ジャン=ピエール・メルヴィル

報告が遅くなってしまいましたが、先週万難を排して行ってきました。
もう、感涙!!

オフュルスは、エスタブリッシュ・カットを多用し、これぞ王道というミザンセーヌ。
しかし、そんな中でも、フランツとホテクが語らうシーンでは、宿命の恋を案じさせる鳥瞰が、効果的に使われてたり、憎いばかり。

反対に、メルヴィルはその後のフィルム・ノアールを先取りしたような、音楽とカットつなぎ。心の動きを如実に語るようなカメラ、とくに下からのアオリが、秀逸です。

そんな、両社に共通しているのは、すごーくストイックなところ。整理されて必要最低限で、決して奇を衒わない。

舞台などと違って、映画は再現性が高いのだから、もっともっと、こういう真の古典に学ぶべきっすね。

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2008年9月12日 (金)

TOKYO! (impression)

TOKYO!(2008年/仏=日=韓=独 合作映画)
MICHEL GONDRY×LEOS CARAX×BONG JOON-HO

Img91212402 (チラシをSCAN)

TOKYOという“季題”をいただいた、三様の自由律映像だよ!!

いやぁー、うれしいっス!レオス・カラックス、9年ぶりの映像が観られて。
しかも主演、ドゥニ・ラヴァン!!ますます、怪優、怪演ぶりに磨きかかってます。
対するは、石橋蓮司、嶋田久作という、これまた日本を代表する怪優たち(^^;)。
もう、すごいっす、いきなしゴジラのテーマで、怪人が現れるは、
タイトルの「メルド=糞」の文字が大ビジョンに映し出されるは、
メルド語ってなんじゃそりゃ??だし、
やりたい放題に拍手するしかないでしょ、カラックス監督!!

ミシェル・ゴンドリー(『僕らのミライへ逆回転』が待たれます)の作品も、
TOKYOの居場所の無さ感が、彼お得意のウイットで表現されてて面白し。

ポン・ジュノはねぇ、『グエムル』に関してはまぁ色々あるんですけど、
今回特筆すべきは、蒼井優の持ち味・魅力を一枚の絵の様に、
引き出してるとこ。ガーターからのぞく脚の白さにクラッ!
(優ちゃんが配達してるPIZZA'S ENDって、配給のビターズエンドのもじりすか?!)

たぶん、いまこういうのって、“TOKYO”ということでしか、できないんだろうな。

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