『ディスポジション:配置としての世界』柳澤田実/編 現代企画室
ニヒリズムに陥ることなく、近代主観性を脱し関係性と相対認識の可能性を拓こうという試み。そのキー概念が、ディスポジション(disposition)=配置、布置、力、条件、性向、傾向性、態勢……。
「ディスポジションという語は、特定の学問領域における中心的概念として機能してきたものではなく、むしろ英語においても仏語においても日常的に用いられる言葉。しかし、それと同時にディスポジションは、さまざまな領域のテキストにおいて、まさに領域横断的に見出され、ある共通の展望を拓いてもいる。その展望とは、いわゆる近代的世界観とは別の可能性の提示にほかならない。本書は、この概念であると同時にひとつの実践とも言えるディスポジションを巡って、哲学、生態心理学、美術、建築、工学、など複数の領域の専門家たちが思索し、討議を行った記録である。」(本書前書きより)
ギブソンのレイアウト(layout)、フーコーの装置(dispositif)、ドゥルーズの配置(agencement/arrangement)といった諸概念が縦横無尽で、すごく刺激的っすが、まだまだあまりに予告編すぎて、その先が知りたいです。
『崇高の美学』 桑島秀樹/著 講談社選書メチエ
カントからヒロシマまで 人間を考え直す強靭な思考。
様式的な「美」の概念と違い、「崇高(サブライム)」は、恐怖や圧倒、死やときにはグロテスクなどをも包含し、対峙するものの存在を根底からゆすぶるような体験とでもいえるでしょうか。
その「崇高」の考察史を、アルプスなどの自然の驚異から、エドモンド・バーク、カント、そしてリオタールによる、バーク再読へと辿り直し、ヒロシマや9・11に連なるアメリカのテクノロジー・サブライムを省察。現代を切る、切っ先としての「崇高」。
昨今の金融破たんも、アメリカ流の「崇高」感に思えてくる。
『世界のM42マウントレンズ』 写真工業出版社
最近仕事なんかでは、どうしてもデジタルを使うことが増えてしまったけど、でも、いまのレンズって、優等生過ぎて失敗は無いけれど面白味もないんだよなぁ。
で、M42マウントレンズというのは、1950年代に日本や東西ドイツやソ連など国内外の多くのカメラ、レンズメーカーが、こぞって制作した統一規格のレンズ。当時、これらの国のカメラメーカーでは、統一のマウント(カメラ本体とレンズの接合部のこと)のカメラをつくってた。それが、M42マウント。なので、例えば、ペンタックスのカメラに、カール・ツァイスのレンズを装着するなんてことが、いとも簡単にできた。つまり、世界中が交換レンズの宝庫だったわけです。
今では、レンズ設計って、コンピューターでちゃちゃって計算、最新硝材をロボットが削りだしたりしてるので、同グレードのレンズであれば、およそどこのものでも同じように綺麗にクッキリカッキリ写る。だけど、その頃は、大学を主席で出たような光学や物理の博士たちが、計算尺で何日も計算して設計し、レンズ構成もまちまち、職人が手で磨いてたので、写真を見るとどのメーカーの何レンズかわかっちゃうぐらい、レンズのキャラ立ちがはっきりしてる。だからねぇ、ほんと面白いんです。
世界中でつくられてたもんだから、いまだに、中古市場には豊富に出回ってて、しかもレアモノとかを別にすれば、比較的安価に入手可能。私も、数年前からこつこつ集めて、手元に10本程度あります。もちろん、当時のM42採用のカメラ本体をそのまま使って撮影できますが、アダプターを使えば、最新のデジタル・カメラにもメーカーによっては取り付け可能とあって、やはり同好の士が多いのか、こんなMOOK本が最近になって出版されちゃったんですね(そうした影響か、中古市場で多少値上がり傾向)。
主だった70本を実例写真とともに紹介してくれちゃってるので、もう物欲が掻き立てられること。でもぉ、ここんとこ、いろんな意味で余裕が無いもんで、新たにM42レンズを手に入れて、お散歩写真撮りに行くとこ、ただただ夢想(妄想?)するだけです。